気分転換の松竹梅

金曜日の20時過ぎ。お台場某所のスターバックスコーヒー。恐らく普段の賑わいから考えれば閑散としているのだろうその店内には自分と同じ様にタブレットやパソコンに向き合う人がまばらにいる。既に閉店した店が並ぶ中、活気がある方ではあるのかもしれない。
 
私も別に夕飯を食べる為だけにお台場まで来たわけじゃない。平日は続く在宅勤務故に殆ど引きこもり生活と同じ様な暮らしをしており、日常にある刺激なんてiPadの中の動画サービスくらいなもので。それでも見飽きてしまうと、空間そのものに意味を見出せなくなる。
 
私自身、お台場の地は早11年ほど前から個人的に「パワースポット」と呼んでいる。なんとなく、ここに来ると元気が出るのだ。窓の外に輝くレインボーブリッジと東京タワー。その光景が私のお気に入りの景色だ。心が疲れた時はここに来て、ただぼんやりと窓の外を眺める。昔は眺めるのにうってつけのお気に入りの店があったのだが、コロナ禍の影響で閉店してしまった。値段的にも心配になるレベルの良心価格のパスタ屋だったのだけど。閉店する前にもう一度行きたかったなぁ…なんて言ってみた所で後の祭りだ。
いつまでもあると思うな、推しとコンテンツ。店も然り。後悔は本当に先に立ってはくれない。
 
前書き終わり。
 

 

気分転換って「サイズ感」があるな、と思ったのがこの話の発端。手元で済ませられるアプリやゲーム。そこだけで気が済まないとDVDや動画配信サービスなどより時間を使うものに移り、それで足りないと外に出る…と言ういわゆる松竹梅と言うか、大中小と言うか。
 
私にとっては今まで「外に出る」と言うのが常な生活だったからか、「外に出る」と言うことを大きな気分転換だと考えたことはなかったのだけど、今の生活になるとその大きさたるや。着替えてメイクして出かける準備をして、ルート検索してさぁ出発。こんなこと毎日やってた生活(通勤生活)に果たして戻れるだろうか、と度々考える。無理じゃない?消費コストに見合わないのよ…。
 
それはさて置き、「外に出る」と言うのが外部刺激が相当強いものなのだ、と言うことに気付いたのもここ2年くらい。日常生活の中に溢れまくっていた出来事(刺激)が一瞬で奪われ、それがネタになるのも最初の内だけなのだ。それが常になってしまうと、外部刺激が全くない生活…同じ生活の繰り返しへと成り下がるのである。オタク、よく生きてる。オタク以外の皆さん…と言うか外部刺激を外部刺激と思ってなかった皆さんはお変わりないですか。どの道、よく生きてる。素晴らしい。みんな褒めてこ。
 
また昔話になるんだけど、以前は「note」と言うプラットフォームで1年半くらい毎日書き続けていた。刺激が少なかった日は随分とあっさりした内容になったりしたものだけど、毎日何かしら考えて過ごしていたし、何かしらをアウトプットし続けていた。色々理由を付けてやめてはみたものの、恐らく今だから思える一番の理由は外部刺激の少なさ故のネタ切れだったのではないだろうか。緊急事態宣言出て直ぐくらいで諦めたんだよね。本当は10年くらい続けてみたかったんだけど、上手くいかなかったよ。
 
と言うわけで今日は多分4月末頃ぶりにお台場に来ている。そうしたらほら、それがこんな話のネタになったよ。良いことじゃないか、ねぇ?出掛けるって大事なんだよ。…さて、散歩するには随分と日が暮れ過ぎた。もうしばらくホワイトモカを飲みながら、窓の外を眺めていようと思う。